コンパクトシティ推進の事例と日本の現状

コンパクトシティ推進の事例と日本の現状

コンパクトシティを目指すための実践的な取り組みは、さまざまな都道府県や市町村で進められていて事例は多くあるものの、国としての導入はいまだに実現していません。今回は、コンパクトシティが推進されている背景と、日本の現状について紹介していきます。

コンパクトシティ推進の背景

コンパクトシティ推進の背景

まちづくり三法の制定

日本でコンパクトシティが取り上げられるようになった主な理由には、

  • 地方都市における中心市街地の衰退
  • 郊外の市街地の拡大

などがあります。

地方都市では90年代の半ばごろから中心市街地の空洞化が大きな問題となっていましたが、アメリカの要求により「大規模小売店舗法※」の維持が困難となったことから、市街地の衰退はさらに進行します。

この問題を解決すべく定められたのが「まちづくり三法」。これは、「中心市街地活性化法」「都市計画法」「大店立地法」の3つの法律を総称したものです。

※大規模な小売店舗の事業活動を制限することで、周辺の中小小売り店を保護することを目的とした法律。調整されるのは開店日時・店舗の面積・閉店の時間・休業日数の4項目

中心市街地活性化法

市町村が中心市街地の活性化を目的として、市街地の整備や改善方法などを考え「基本計画」という形で国に提案。それが認定された場合は「タウンマネージメント機関(TMO)」によって重点的に支援を行う、というものです。

2006年に法改正がされるまでに619の自治体から690地区分の基本計画が提出され、設立されたタウンマネージメント機関は300以上にもなりました。

タウンマネージメント機関
認定された市町村の運営についてさまざまな角度から調整・プロデュースを行う機関のこと

都市計画法

都市が健全に発展するように定められた法律で、市街地が無秩序に増えていかないよう「市街化区域」と「市街化調整区域」の二つに分けるなど、さまざまな施策が行われました。

市街化調整区域
文章急激な市街化を抑制するために、原則的に住宅の建設や開発を禁止した区域のこと

大店立地法

従来の大規模小売店舗法に代わって認定された大店立地法(2000年施行)。大規模な小売店を規制するという内容から、

  • 大規模な小売店と地域社会の融和
  • 地域の生活環境を維持する

という内容に変化しました。

まちづくり三法の改正とコンパクトシティ

しかし、このまちづくり三法で中心市街地の衰退を止めることはできませんでした。大規模小売店舗法から大店立地法に変わったことで郊外には大型ショッピングモールが立ち並び、中心市街地の商店街はシャッター街への道を突き進んだのです。

2004年の9月に総務庁(現在の総務省)によって調査が行われた際には、まちづくり三法に基づいて整備や改善が行われた市街地のほとんどの人口・店舗数は引き続き減少しており、莫大な予算を投じたにもかかわらず中心市街地の活性化にはつながっていないことが判明し、まちづくり三法は見直されることとなります。

中心市街地活性化法の改正

商業地の活性化に加えて、都市機能の集積の促進・中心市街地への移住の推進などに関する支援策が追加されました。さらに、中心市街地活性化推進本部を内閣に設置することで国の支援体制も強化されました。

都市計画法の改正

都市計画法の改定は、「ゾーニング」を強化することで大規模な集客施設の立地を規制するというものです。これによって、床面積が1万㎡を超える大規模小売店舗は、

  • 商業地域
  • 近隣商業地域
  • 純工業地域

の3つの地域のみにしか出店できないように制限されました。

さらに、都市計画区域外での好ましくない開発行為も規制できるようになりました。

ゾーニング
市町村を細かく線引きしていくつかの区域に分けることで、大量に住宅施設や商業施設が建設されないよう規制するもの

大店立地法の改正

大店立地法の改正はされず、指針などの改定が行われました。

上記の改正には「さまざまな都市機能をコンパクトに集約させ、どこへでも歩いて行けるまちづくり」という指針が示されており、これがコンパクトシティの考え方の発端となったのです

 

地方自治体の取り組み

地方自治体の取り組み

まちづくり三法が改定された後、2010年3月までに97市町で100と地区分の基本計画が認定されました。そして、その多くがコンパクトシティの考え方を基盤としています。そのなかから三つの都市を取り上げて紹介していきます。

コンパクトシティとは?メリットとデメリットをふまえて紹介! コンパクトシティとは?メリットとデメリットをふまえて紹介!

青森市

青森市は、図書館やレストランなどの公共施設と商業施設を複合させたビル「AUGA(アウガ)」を建設し、コンパクトシティを推進。青森駅前の再活性化を目的として建てられたビルは、約158億円もの費用がかかりました。

理想的なコンパクトシティを目指した青森市では、

  • 市街地を「インナー」
  • 周辺地域を「ミッド」
  • 郊外地を「アウター」

と定め、3つそれぞれに別の役割を持たせる計画を推進したのです。

インナーに商業施設と行政施設を充実させて、ミッドに人を集めて居住施設を建設し、アウターにはあまり建築物を建てずに文化活動・自然保護をメインとしました。

しかし、居住施設を集約させることで人口の減少は止まり成功を収めたものの、市街地の目玉であるAUGAの収益が伸び悩み、郊外への大型施設の建設も抑制されない結果となりました。

富山市

富山市は、

  • 人々が生活する地域を「団子」
  • その地域をつなぐ公共交通機関を「串」

ととらえてコンパクトシティへと変化させていきました。

富山市は自動車の保有率が全国で上位の典型的な自動車社会の街です。マイカーでの移動が大前提のため、居住区は郊外へと拡大して行政サービスのコストは増大するばかり。高齢化にともなって医療・福祉サービスの面でも苦しい状況となったため、コンパクトシティ化へとかじを切ります。

富山市の計画で特に重点が置かれたのが公共交通機関です。中心市街地のJR富山駅と周辺地にある駅やバス停を結ぶため、利用者の少なかったJR富山港線を次世代型路面電車の「富山ライトレール(ポートラム)」へと再生させました。

運転間隔も短くバリアフリーにも対応している富山ライトレールは地域住民にすぐに受け入れられ、利用客は倍以上にもなりました。同時に、居住推進地区では居住支援も進められ、団子となる居住地域への移住も増加していきます。

中心市街地へ通いやすくなったことで民間企業の開発も進み、成功例として全国からも注目を集める一方で、

  • 古くから続く商店街の客足が減少している
  • 設備投資のために行われた地方債券の発行額が増加している

などの問題も残されているため、コンパクトシティ構想の難しさを感じさせる一面もあります。

熊本市

熊本市は富山市と同様、公共交通機関を主軸としてコンパクトシティを目指しています。四方を豊かな自然に囲まれた熊本市、その中心に市街地はあります。自動車の普及率が上がった点、比較的安価で郊外に土地が持てるという点から、居住区はどんどん拡大していきました。

熊本市は、その打開策として「都市マスタープラン」という取り組みを開始します。拡大していった数々の居住区を地域拠点として捉え、それぞれに都市機能を持たせる方針を持ち出します。

熊本市内には路面電車も通っており、市街地を中心として放射状に公共機関が広がっています。大きな都市機能を持つ中心市街地の周りを小さな都市機能を持つ居住区で囲み、それらが全てつながるように公共交通機関を強化していく計画です。

大きな都心部とさまざまな小さな都市をつなげる「多核連携都市」を目指す挑戦は、今も続けられています。

 

拡散型都市構造化する日本の現状

拡散型都市構造化する日本の現状

地方都市の郊外化

そもそも、なぜ日本の都市はコンパクトシティとは対極に位置する拡散型都市構造になってしまったのでしょうか。

もともと、日本における地方都市の多くは江戸時代の城下町と港町が起源であり、明治維新によって交通・商工業が発達して都市として成長を遂げていったものの、現在と比較すれば人口規模ははるかに小さく、コンパクトな都市構造をしていました。

また、都市と農村地帯との間に明確な境界は存在せず、平野部であればどこにでも農家集落が点在していました。

高度経済成長期を迎えると、地方圏の都市化が急増。地方都市もそれにともなって人口や世帯数を増やそうと、周辺にあった農村地帯と山林を切り崩す形で市街地を拡大させていきます。しかし、地方都市の市街地面積を拡大したものの人口はあまり増加せず、人口密度は低下。結果、低密度の拡散型都市が形成されます。

地方都市に人口が増えなかった原因としては、

  • 人々がより広くて快適な住居を求めるようになったこと
  • 少子化によって一世帯あたりの人数が減ったこと
  • 土地を多く所有していた農家の資産選択によって、広くて安い農地が切り売りされたこと

など多くの理由が指摘されていますが、最大の要因はモータリゼーションが進展したことでしょう。

1970年ごろから急速に高まった自動車の普及率は、郊外での生活を飛躍的に便利なものにします。この結果、住宅のみならず商業施設や公共公益施設も郊外へと進出させることとなったのです。

その一方で、中心市街地では居住人口だけでなく昼間の人口も減少し、青空駐車場とシャッター街であふれかえる現象が全国各地の地方都市で見られるようになりました。

21世紀に入ってからは、県庁所在都市においても人口減少が問題視されるなか、1970年~1980年代に開発が進められた郊外の住宅地の高齢化が問題となっています。

都市経済学から見た都市構造

都市経済学の視点から都市構造について考えてみましょう。

都市部へ人口を集中させるには、公共交通機関の発展・政治的な要因といった経済の外的要因と、「集積の経済」といった経済的要因が必要になります。

集積の経済とは、同一の地域にさまざまな業種の企業を集積させ、相互のコミュニケーションにかかる費用を大きく削減させたり多様な発想によって企業の発展につなげる、というものです。

都市の構造で最も合理的なのは、集積の利益を最大限に享受できて利便性も良い中心部に高い地価に見合った高い経済力を持つ企業の高層ビルが建てられ、その周辺に住宅が配置される形です。そして、中心部の地価を補いきれない農地などは都市の外縁部に残されます。

このように、地域に関しての基本計画がなくとも市場のメカニズムによって自然と効率の良い都心集中型の都市構造となっていくのです。

実際、日本における多くの地方都市では、高度成長期を迎えるまで中心部に主要な商店街と行政機関をはじめとした都市機能が集約され、隣接した周りの地区に住宅地が形成される、という集約型の都市構造が成立していました。

なぜ拡散型都市構造は形成されたのか

ではなぜ、拡散型都市構造が形成されてしまったのでしょうか。それには三つの原因が考えられます。

モータリゼーションの進展

自動車が普及したことで移動のコストが大幅に下がったため、中心部に位置する主要な商店街の優位性は損なわれました。そして、交通渋滞と駐車場不足のない郊外が逆に優位を占める状況が生まれたのです。

都市経済学では「既存の都市と渡り合えるだけの集積を持った都市を新たに作り出すことは困難である」と考えられていたため、既存の都市の発展に力を注いでいました。しかし、モータリゼーションの進展は、中心商店街を上回る規模で魅力を持った大型ショッピングモールを郊外に作り出すことを容易にしてしまったのです。

市場の失敗

中心市街地の土地は活性化を目的として区画が分けられ、それぞれで役割を持っていることが多いため、ニーズの変化にあわせて業種や形態を変更したり敷地を統合することで効率的に土地を利用したりする施策の実現には困難がともないます。

また、

  • 「所有と経営の分離※」が完了していない
  • 不動産の賃貸住宅市場が未発達である
  • 地価や家賃水準について所有者が正しく認識できていない

ことも、原因として考えられます。

※出資者(株主)と経営者(取締役、執行役)の分離・分担をすることで、会社運営の適正化・合理化を目的とするもの

政府の失敗

地方自治体が郊外の開発を積極的に行い、中心市街地の再整備をおろそかにしたことも拡散型都市構造を助長したと考えられます。

学校と病院を含む公共公益施設・市役所庁舎・行政サービスコーナーなどの施設を、地価が安いという理由で安易に郊外に移転させたり、人口増加を前提として始めた開発事業を人口が減少している状況にもかかわらず見直しをせずに続けていたりしていたのです。

 

多くの都市において拡散型都市構造は深く根付いており、人口の減少・投資余力の低下が問題となっているいま、コンパクトシティを推進することは非常に困難です。

中心市街地の商業地活性化・郊外から都心部への人口の誘導・公共公益施設の都心部での再建など数々の問題を解決するためには、多くの施策を実施する必要があり、いずれも一筋縄ではいきません。