地域おこし協力隊アスパラガスとの出会いがキャリアを変える(長崎県島原市 地域おこし協力隊 光野竜司)

アスパラガスとの出会いがキャリアを変える

慶應義塾大学法学部を卒業後、ITベンチャー企業への就職や難病での入院を経て長崎県島原市で地域おこし協力隊として活躍されている光野竜司さん。協力隊として活動されると同時に株式会社トトノウを設立し、島原産の野菜をブランド化して流通させる仕組みを構築するために尽力しています。

高校時代から全国を旅して回る

 

高校時代から全国を旅して回る
(写真:(株)トトノウ提供)

都会の真ん中で育つ

愛甲(株式会社イタドリ 代表取締役):光野さんは長崎県島原市で地域おこし協力隊をやられているわけですが、ご出身はどちらですか?

光野(長崎県島原市 地域おこし協力隊):下北沢(東京都世田谷区)です。中学校は湘南にある慶應SFC(湘南藤沢キャンパス)を受験しました。

愛甲:完全に「都会っ子」ですね。ここから長崎での地域おこしに行き着くまでの巡り合わせを教えていただけますか。

光野:僕の家は放任主義で、両親からは「学費は自分で払え」と言われていたんです。そういったことがあったので、中学3年くらいの時から株を始めまして。

愛甲:おお、中学3年で株ですか!リーマンショックが起こる3年ほど前になりますね。それなりに株価が堅調に推移していたころだったかと思います。

光野:それが僕の人生における誤りで…トントンと行ってしまい、高校の学費を除いてもお金に余裕ができてしまったんです。

そんなわけで、高校のころから日本を旅して回るようになったんです。これまでで日本を4周か5周くらいはしていると思います。長いものだと半年間くらいかけて。

自然に惹かれて慶應SFC(湘南藤沢キャンパス)に進学

愛甲:いやぁ、うらやましい。そもそも、なぜ中学受験をしようと思ったんですか?

光野:小学校から大学附属の私立だったんですが、そこが中学校から女子校になってしまう関係で仕方なく、というところですね。

SFCに決めた理由は「自然」ですね。学校の中に池があったのですが、それを見て感動したんです。

愛甲:学校ではバリバリ勉強という感じですか?

光野:いや、かなり自由奔放でしたね。変わり者と帰国子女が多かったです。大学卒業後は大企業に入った人もいますけど、仕事をしていないか自分で会社を作っているかのどちらかのケースが多いので、就職率は低いと思います。みんな好きなことをやっていますよ。

愛甲:SFCはITと英語のイメージが強いですが、実際はどうなのでしょう?

光野:ITについてはプログラミングの基礎のような授業があったものの、それほどではなかったですね。ただ、英語に関してはやはり強かったです。日本人なのに日本語をしゃべらないクラスメイトもいて、さらに高校から入ってくる生徒の半分以上は帰国子女ですから、そこで一気にレベルが上がって挫折しました。数学の授業中に英語で会話をしていますからね(笑)

愛甲:信じられない光景ですね。部活は?

光野:スキーをやっていました。夏は夏休みを利用してニュージーランドに行き、冬も部活優先で、試合があるとずっと滑っていました。

 

将来の独立を念頭に法学部へ進学

 

将来の独立を念頭に法学部へ進学
(写真:(株)トトノウ提供)

愛甲:大学ではなぜ法学部に進学されたのですか?

光野:高校のころから農業が好きでしたが、同時に会社経営についても興味がありました。実は親も企業家だったんです。それで、最低限必要なものは何かと考えた時に、法律だなと。特に会社法と金融商品取引法をメインで勉強していました。

愛甲:会社を経営するにあたって会社法を知っているかどうかは非常に重要ですからね。金融商品取引法についても、このところ非常にホットなワードですよね。ICO(Initial Coin Offering:企業が「トークン」と呼ばれる独自の「通貨」を発行することによって行う資金調達)は、企業が国境を越えて機動的に資金を調達できるという点でとても魅力的だと思っていて、注視しています。メガバンクが今後、業態をどのように変容させて生き残っていくかということも含めて非常に面白い分野だと思っています。

ところで、留年の危機はありましたか?

光野:3回くらいありました。もはや毎年ですね。教授に手紙を書くなど根回しをして、なんとか卒業しました。

 

大学1年で早々に就職先が決まる

 

大学1年で早々に就職先が決まる
(写真:(株)トトノウ提供)

愛甲:就活はされたんですか?

光野:大学1年の時に行われたワークスアプリケーションズのインターンシップで内定をもらってからは一切しませんでした。

愛甲:ワークスって、インターンシップの参加者で課題をこなして、その点数が上位の人に内定が出る、みたいな感じでしたよね。

光野:そうですね。あるテーマが与えられて、インターンの間に知らないプログラミング言語の勉強をして設計書を書き、実装するところまで行いました。そして、その成果物で評価される。とはいえ、コードが実際に書けたかどうかというよりは設計の部分が評価されたと思っています。

愛甲:ロジックですよね。いわゆるビジネスマンにおける基礎体力。

光野:そうだと思います。それで、実際に内定が出たのが1年の終わりか2年の頭くらいだったかと。

愛甲:すごいですね…とんでもない青田買い。

「入社パス」でまた旅行の日々に

光野:「入社パス」という制度で、「内定をもらってから何年かはいつでも入社して良いよ」と。そんなわけでまた旅行の日々になりました。ちなみに大学は卒業できなくてもOKです。

愛甲:まぁそれは理にかなっていますよね。学歴うんぬん以前にその人の実力が分かってしまったわけですから。むしろ、大学を中退や退学した人の方がかっこいいな、箔が付いているな、と感じさえします。

光野:自分の意志通りに動けているな、という見方はできますよね。確かに大学最後の一年半から二年はもったいなかった気もします。

 

北海道でのアスパラガスとの出会い

 

北海道でのアスパラガスとの出会い
(写真:(株)トトノウ提供)

光野:僕は地域の食、特に食べ物が作られる現場に興味があるんです。これには一つ大きなきっかけがあります。北海道に行った時にたまたま道端の露店で売っていた塩ゆでのアスパラガスを食べたことがあって、めちゃくちゃおいしくて感動したんです。

愛甲:その出来事、トトノウさんのHPにも掲載されていますね。

光野:アスパラガスの農家の方とお話をしてみたらすごく楽しくて、そのまま家に2日間泊めてもらうことになったんです。これが自分のなかでは非常に大きかった。この出来事がきっかけで、食べ物を「食べる」というところから「作る」ということに自分の興味がシフトしていったんです。大学3年くらいの時になりますね。

それからは、熊本の農家を突撃して1ヵ月間泊めてもらう経験もしました。そして、農業の現場を見ることによって課題も同時に見えてきます。これをどうにかしたいなと。

株式会社トトノウ ホームページ

 

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