「せともの」の語源にもなっている「瀬戸焼」とは?

「せともの」の語源にもなっている「瀬戸焼」とは?
陶磁器を指して「せともの」と呼ぶことがありますが、これは愛知県発祥の焼き物「瀬戸焼」が由来となっています。焼き物の一般的な呼称となるほど広く親しまれる瀬戸焼の歴史と特徴を紹介します。

瀬戸焼とは

瀬戸焼とは

現在の愛知県瀬戸市やその周辺で作られた陶磁器をひとまとめにしたものが「瀬戸焼」と呼ばれるもの。瀬戸焼は信楽・備前・丹波・越前・常滑と並ぶ日本六古窯(ろっこよう)に数えられる日本を代表する窯場(かまば)の一つで、東日本を中心に広い地域で「せともの」と言えば陶磁器を表す言葉として使用されています。

瀬戸焼の歴史

瀬戸焼の歴史は大変古く、1000年以上前の古墳時代までさかのぼります。朝鮮半島から伝えられた窯で焼き物の生産が始まり、灰釉(かいゆう)と呼ばれる草木の灰を主原料とした釉薬(ゆうやく・うわぐすり)を使用した本格的な生産は平安時代中期から始まります。

鎌倉時代から室町時代にかけて生産された陶器を「古瀬戸(こせと)」と呼びます。古瀬戸は中国陶磁器の影響を受け、その製法を模倣して釉薬を器全体に施したものが作られました。

安土桃山時代に入ると茶の湯の流行にともない芸術作品とも評価される茶器も作られ、茶人に珍重されていきます。栄華を極めたかに見えた瀬戸焼ですが、江戸時代初頭に急速に発展した有田の磁器に押されて次第に衰えていきます。

江戸時代の後期に入り、「瀬戸磁器の祖」と呼ばれる加藤民吉が九州で学んだ磁器の技術を瀬戸焼に取り入れます。磁器の生産を始めた瀬戸焼は再び息を吹き返し、藩の保護を得たこともありかつての勢いを取り戻すまでになりました。

1872年に開催されたウィーン万博以降は海外への輸出も活発に行われ、国内外に焼き物の代名詞にもなった「せともの」を確立していくことになります。

瀬戸焼の特徴

日本の焼き物の中で、鎌倉時代から釉薬を使用して作られていたものは瀬戸焼だけでした。瀬戸焼の特徴はこの釉薬にあり、多種多様な釉薬を使い分けて瀬戸焼を発展させていきました。

釉薬とは陶磁器の表面を覆ったガラス層のことを言います。素焼きした陶磁器に釉薬をかけて高温で焼くと釉薬はガラス質に変化します。釉薬には「強度を上げる」「表面の質感や色などの表現が広がる」「水分の吸収や汚れを防ぐ」といった効果があります。

瀬戸焼に使用される釉薬は以下のとおりです。

灰釉(かいゆう)

草木の灰を主原料とし、瀬戸焼の始まりから使われています。木質炭・竹炭・藁(わら)灰などが使われ、基本となる灰の種類によって色合いが変わります。

鉄釉(てつゆう)

酸化鉄を含む釉薬で、瀬戸焼では古瀬戸の時代から使用されていました。鉄の含有量によって少ないものは黄色く、多いものは茶・赤褐色に発色します。

黄瀬戸釉(きせとゆう)

含有量1%程度の微量な鉄分により淡い黄色に発色します。安土桃山時代に美濃で焼かれた瀬戸焼に使用されました。

織部釉(おりべゆう)

灰釉に酸化銅を加えることによって焼き上げると緑色に発色します。戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将で、茶人としても有名な古田織部が好んだ色であることからこの名が付きました。

志野釉(しのゆう)

長石と呼ばれる鉱物を主な原料とした釉薬で、白く発色します。桃山時代の美濃地方で作られた「志野焼」に使用されました。

瑠璃釉(るりゆう)

酸化コバルトを含み、紫がかった深い青色(瑠璃色)に焼き上がります。磁器での使用がほとんどで、瀬戸焼でも磁器製造が始まってから使用されました。

青磁釉(せいじゆう)

微量の酸化鉄を含む釉薬で、酸素の少ない還元焼成という方法で焼くと青や緑色に発色します。釉薬の厚みで深い青や緑となって発色します。

瀬戸焼の新たなブランド「瀬戸織部」

桃山時代に一世を風靡した「織部焼」。その自由で大胆な精神やデザイン性を受け継いで現代の瀬戸で作られる織部焼は「瀬戸織部」として注目を集めています。

わび茶を完成させた茶人として知られる千利休。その弟子である武将「古田織部」によって織部焼は生み出されました。鮮やかな色合いと大胆な文様、固定観念にとらわれない斬新なデザインは、茶の湯の世界で一大ブームを巻き起こしますが、古田織部の死とともに姿を消していくこととなります。

現代の瀬戸織部は、茶の湯だけでなく日常生活でも使われる焼き物として日々の暮らしに溶け込んでいます。美しい色彩と丈夫さを合わせ持つ瀬戸織部は多くの人々に愛用され、瀬戸焼の新たなブランドとして広がりを見せています。

 

瀬戸焼の伝統工芸品「赤津焼」と「瀬戸染付焼」

瀬戸焼の伝統工芸品「赤津焼」と「瀬戸染付焼」

赤津焼(あかづやき)とは

瀬戸市の東にある赤津地区で作られる瀬戸焼を「赤津焼」と呼びます。赤津焼の歴史は、古墳時代に朝鮮半島から伝わった技術を元に作られた陶質の土器「須恵器(すえき)」から始まったとされます。瀬戸焼における釉薬の発達にともない、桃山時代には茶の湯の器として珍重され、華やかな時代にふさわしい優美な作品も多く残されています。江戸時代には尾張藩の御用窯として栄えました。

赤津焼の特徴

赤津焼の特徴は、種類豊富な釉薬と技法にあります。釉薬は、灰釉・鉄釉・黄瀬戸・織部・志野・小瀬戸・御深井(おふけ)の7種類。技法は、へら彫り・印花・櫛目・三島手・へら目・たたき・削り目・そぎ・布目・透彫り・浮かし彫り・張り付けの12種類があり、櫛やへらなどさまざまな道具を使って器に装飾を施していきます。これらの釉薬と装飾技法を駆使し、赤津焼の色彩豊かで多様な文様の焼き物が作り出されています。

瀬戸染付焼とは

江戸時代の後期に加藤民吉が九州から持ち帰った磁器の技法と、絵の専門家に指導を受けて描かれた絵画のような絵付が一つになり「瀬戸染付焼」は完成しました。柔らかな質感と繊細な染付画は海外でも高い評価を受け、ヨーロッパを中心に広まった芸術運動「アール・ヌーヴォー」にも影響を与えました。

瀬戸染付焼の特徴

瀬戸染付焼の特徴は、白く透明感のある素地(きじ)に描かれる花や鳥、風景などの写実的な繊細さにあります。一般的に染付は磁器に施されるものですが、瀬戸染付焼は陶器にも用いられます。

呉須(ごす)と呼ばれる藍色のコバルト顔料で絵付をし、その上から釉薬をかけて焼きます。窯の温度を高温のまま一定時間保ち、釉薬を熟成させる「ねらし」という工程も特徴の一つで、ねらしを行うことによって潤いのある仕上がりになります。

錦山窯 瀬戸赤津焼 手描き舞桜 一服碗

赤津焼の窯元がこだわりを持って選んだ土で焼き上げ、一つずつ丁寧に図柄を描いています。手になじむ大きさと落ち着いた色合いで、お茶はもちろんお酒やコーヒーを入れても違和感がありません。小鉢としても利用でき、さまざまなシーンで活躍します。

瀬戸染付 菊形五寸皿 山茶花

澄んだ青い菊形の皿に、白い山茶花の花が鮮やかに浮かび上がります。手描きの絵付は一点ずつ微妙に色の濃淡が違いますが、かえってそれが味となっています。約16センチという使いやすいサイズも魅力。

 

地域産業の活性化への動き「瀬戸焼振興ビジョン」

地域産業の活性化への動き「瀬戸焼振興ビジョン」

瀬戸焼振興ビジョンの目的

焼き物の町として知られる瀬戸市では、瀬戸焼という伝統的な産業を見直し、他の地域との差別化を図って瀬戸焼独自の魅力を生かし発信することによって地域の産業を活性化することを「瀬戸焼振興ビジョン」の目的としています。

瀬戸焼の抱える問題点

「せともの」と言うと一般的に普段使いの食器といったイメージがあり、瀬戸地域で生産される高品質の「瀬戸焼」というブランドとは結び付かないのが現状です。

専門的に陶磁器について学んだものの、その後作家として活動する場所や技術・知識を生かして就職できる企業が少ないため、瀬戸市以外に人材が流れてしまい、結果として瀬戸焼の技術者・職人の高齢化が進んでいます。

経営不振や後継者となる人材の確保ができなかったことによる廃業や業態転換も増えていることから、このままでは伝統とともに受け継がれてきた技術が途絶えてしまうと危惧されています。

陶都瀬戸の産地力向上への対策

瀬戸焼を含む陶磁器について学んだことを活用できる場が少なかったため、官民で連携を図り、人材育成に取り組むこととなりました。関係団体が連携を取り、育った人材の職業選択の幅を広げるとともに受け手側の希望にも沿える仕組みを作ります。

若手作家の作品発表の機会を設けて瀬戸市での創作を支援していくことにより、技術を次の世代につなぎ、作り手の定住を促します。

また、瀬戸焼の魅力を知ってもらうためにSNSを積極的に活用して知名度のアップを図っています。この発信を通じて瀬戸焼の歴史・価値の認識とさらなる情報の広がりを目指していきます。

 

焼き物の代名詞となった瀬戸焼ですが、その反面、特徴がないと思われがちでした。しかし実際には、豊富な釉薬や技法を駆使した歴史ある焼き物の代表格。日常のなかで愛されることこそ、長い伝統と確かな技術の証かもしれません。

おすすめ記事