和菓子の歴史
和菓子の起源
和菓子の起源とされるのは、木の実や果物。古代、人びとは野生の木の実や果物をおやつとして食べ、空腹を満たしていたと言われています。それが、果物を乾燥させたり木の実を砕き灰汁を抜いて団子にしたりと工夫されていきました。
菓子の起源となる話が記されているのは、712年に編集された古事記と日本書紀。
垂仁天皇の命で不老不死の理想郷へ橘(非時具香菓・ときじくのかくのみ)を探しに出かけた田道間守は、10年という長い歳月をかけて探し続け、苦労の末にこれを持ち帰りますが、すでに天皇は崩御。嘆き悲しんだ田道間守は、垂仁天皇の墓前に橘を備えて殉死したと言われています。
その後に聖武天皇が「橘は菓子の長上、人の好むところ」と言われたことから橘は菓子になり、田道間守は菓子祖として祀られるようになりました。
日本書紀には、古代の甘味料として「米もやし」の水飴や「あまずら」の記述も残されています。あまずらは大変貴重なもので、時代が下った平安時代でも貴族しか口にできませんでした。
唐菓子・南蛮菓子・西洋菓子による影響
奈良時代
600年代の推古天皇のころ、遣隋使派遣により中国との交流が始まります。その際、8種の「唐菓子(からくだもの)」と14種の「果餅(かへい)」が、製法とともに日本に持ち帰られました。
- 梅枝(ばいし)
- 桃子(とうし)
- 渇餬(かっこ)
- 桂心(けいしん)
- 黏臍(てんせい)
- 食畢(ひちら)
- 鎚子(ついし)
- 団喜(だんき)
の名を持つ唐菓子は小麦粉や米粉で作られ、水飴やあまずらで味をつけたもの。油で揚げるなどしたもので、神饌にされるほか、献上品として用いられていました。
754年には砂糖が日本に伝わったものの、大変貴重だったため上流階級の一部の人間のみしか口にすることができませんでした。
鎌倉時代
鎌倉時代には茶道が流行したことで、食間に食べる点心も発展を遂げます。点心も中国から伝わったもので、おかゆや粽・肉のスープなどの総称です。
汁ものである「羹(あつもの)」は48種類。そのなかに羊の肉が入った羊羹がありましたが、日本には肉食文化がなかったため、羊肉の代わりに小豆粉などを入れた蒸し羊羹が作られました。これが「煉羊羹(ねりようかん)」の元となっています。
ほかにも煎餅や饅頭が作られました。輸入されていた砂糖は菓子にも使われ始めますが、庶民が口にするにはまだ長い年月がかかります。
室町時代・戦国時代
中国以外にもポルトガルやオランダから菓子が日本に伝わります。カステラ・ボーロ・ビスケット・有平糖など、小麦粉や砂糖が使われた南蛮菓子は、これまで日本で作られたきた菓子の味・製法に大きく影響を与えました。
お取り寄せしてでも食べたい全国の人気和菓子ランキング1589年には煉羊羹が誕生。上生菓子や干菓子が誕生したのもこのころです。
江戸時代
上流階級で楽しまれていた菓子は、江戸時代になると飛躍的に発展します。戦のない世になったことで菓子作りも盛んになり、京菓子のみならず江戸でもさまざまな菓子が誕生しました。
また、参勤交代により各地域独自の菓子も世に広まっていきます。庶民も菓子を楽しめるようになり、大福や桜餅・おこし・かりんとう・今川焼きなども人気を集めました。
明治時代以降
鎖国が解除され、フランスやイギリスをはじめとしたさまざまな国の菓子が日本に入っていきます。
ケーキやクッキーなどオーブン菓子の影響を受けて洋菓子が発展し、餡を使ったアンパンを代表とする焼き菓子も誕生しました。このころから、日本で生まれた菓子は日本菓子などと呼ばれ、第二次世界大戦後には和菓子・洋菓子と呼び分けされるようになります。
和菓子の種類
生菓子のおすすめ
ういろう「本多屋 ういろう」
1917年に山口駅前に開店した「本多屋 懐古庵」。米粉を蒸して作られることが多い外郎(ういろう)ですが、本多屋名物の「懐古庵の外郎」はわらびを原料としています。
開店当初「福武商店」として雑貨も扱っていた店にはわらび根を売りに来る農家が訪れており、わらび根からでんぷんを取り出して外郎を作ったことが、懐古庵の外郎の始まりです。
昔ながらの味にこだわって作られる懐古庵の外郎は、甘さ控えめでもっちりとした食感。ほかにも、上質の小豆がたっぷり入った「豆外郎」や季節の風雅を感じられる「季節外郎」、わらび粉の風味をたっぷり味わえる生外郎「生わらび」など、種類も豊富にそろっています。
大福餅「市川屋 青豆大福」
江戸時代より続く老舗「市川屋」の青豆大福。つきたての餅で作られる大福餅の原料は、米どころ新潟の「コガネモチ」100%。モチモチ食感とうま味を感じられる餅には、北海道の小豆で作った餡と新潟県産の大豆が包まれています。
草大福で使われているヨモギも新潟県北部の岩船産。丁寧に作られる大福には保存料が使われていないため、一つひとつの素材の味をたっぷり楽しめます。
保存が利くよう餅に砂糖を混ぜたり、挽いたもち米を練った後に熱を加えて作られる大福が多いなか、市川屋の大福はつきたてのもち米で作られているため日持ちがせず、県内の百貨店での販売すら難しかった商品。
以前は遠方への発送ができませんでしたが、現在は急速冷凍されたできたての大福を各地で味わうことができます。
半生菓子のおすすめ
桃山「金米堂本店 桃山」
創業1892年の「金米堂本店」は、さまざまな和菓子を作り続けている店。老舗で作られる桃山は焼き上がりふっくらで上品な甘さが持ち味です。
和菓子の分類では半生菓子になる桃山。白餡に卵黄・水飴・みじん粉を合わせた生地を型で打ち抜き、表面を焼き上げて作られます。
焼き色が美しくほっこりとした食感の桃山は古くから食べられていた菓子ですが、起源ははっきりしていません。茶人に好まれたため京都の地名が付けられたという説や、桃山時代の雰囲気を持つためという説などがあります。
干菓子のおすすめ
有平糖「サンクゼール 有平糖」
ポルトガルから日本に伝わった菓子「有平糖」。ポルトガル語で砂糖菓子のことを「alferoa(アルフェロア)」と呼ぶことからその名が付いたと言われています。
南蛮菓子の一つでもある有平糖は、砂糖に水飴を加えて煮詰めた後、成形・着色したもの。江戸時代に入り、砂糖の流通が安定するまでは大変高価な菓子とされており、貴族や大名しか口にすることができませんでした。
サンクゼールの有平糖は、カリカリ・サクサク食感が最大の特徴。飴を極限まで薄く伸ばすことでこの食感が生まれます。一つひとつ丁寧に作られている有平糖は、きなこ、梅、黒ごま、抹茶味の4種類。
懐中しるこ「鶴屋吉信 懐中しるこ」
文字どおり懐に入れて持ち歩くことができ、お湯を注げばすぐ口にできる懐中しるこ。こし餡を乾燥させ、粉末にしたさらし餡を最中で包んだ懐中しるこは、江戸時代のインスタント食品とも言われています。
「鶴屋吉信」の懐中しるこは、厳選されたもち米をつき上げて香ばしく麩焼きにしたもの。さらし餡を包み、半月に折りたたんだ形も風情があります。
食べる際はパリパリの皮を割り、器に餡を入れた上に麩焼きを乗せてお湯を注ぎます。冷やしてもおいしくいただける一品です。
全国和菓子協会制定「和菓子の日」
和菓子の日とは
和菓子の日の由来は848年、平安時代にまでさかのぼります。疫病蔓延のために仁明天皇が御神託を受け、6月16日に16の数にちなんだ菓子や餅を神前に供え、嘉祥に改元。
以来、嘉祥の祝は厄除けを願う儀式として続けられてきましたが、江戸時代に入ると将軍が菓子を大名や旗本に下賜する行事となりました。
明治時代になると嘉祥の祝は一度廃れますが、1979年に「和菓子の日」として復活します。和菓子の日には招福・厄除けを願いながら和菓子を口にすることが推奨されています。
日本の伝統でもあり芸術でもある和菓子、いかがでしたか。和菓子の分類は難しく、生菓子や半生菓子、干菓子など水分量によって分類されるほか、製法を元に分類されることもあります。目でも舌でも楽しめる和菓子ですが、歴史的背景を調べてみると思わぬ発見があるかもしれません。