自然日本で普及が進められる「林業」とは?その歴史に迫る!

日本で普及が進められる「林業」とは?その歴史に迫る!

日本では、古くから豊かな自然を生活に利用してきました。しかし、利便性を求めるあまり過剰な伐採が続けられ、森林は荒廃してしまったことも。その度に、伐採跡地への植林・育成・間伐など森林整備を行うことで森林の回復を図ってきました。そこで今回は、日本における林業とは何かをその歴史とともに探っていきます。

林業とは

林業とは

林業は、森林を手入れして樹木を切り出し、木材を生産する第一次産業です。

林業というと、「森林を所有し木の手入れや伐採を行う人」のことを思い浮かべるかもしれませんが、日本では主に

  • 森林の所有者
  • 雇われて実務を行う人

で分かれているスタイルが一般的で、森林の持ち主の多くは森林組合に業務を委託しています。

また、薪・木炭・竹・椎茸のように、木材以外でも森林から生産されるものは特用林産物と呼ばれ、これらの生産も林業の仕事に含まれます。

森林の所有者
林業事業体と呼ばれ、1ヘクタール(10,000㎡)の森林を所有する「林家」をはじめとして、各種団体や組合・会社・寺社・国・特殊法人などさまざま
第一次産業として発展を続ける「林業」の仕事内容・平均年収と今後の課題 第一次産業として発展を続ける「林業」の仕事内容・平均年収と今後の課題

 

江戸時代から続く林業の歴史

江戸時代から続く林業の歴史

日本では、

  • 森林資源の建築利用
  • 日用品への利用
  • 火力発電としての燃料
  • 農業に用いる肥料
  • 家畜の餌への利用

などの「自然の恵み」を利用する暮らしは、はるか昔から行われているものの、明確に「森林を管理する」という意識を持ったのは1100年代ごろからだと言われています。

MEMO
森林を管理するとは言っても、森林を再生する取り組みという訳ではなく、川岸・海岸を守るためであったり建築物・山道の景観を保つために行われていることがほとんどでした

森林保全への推進

江戸時代に入ると、大都市の江戸・大坂に人口が集中して住居・寺院をはじめとした建築物が次々と立ち並び、木材の需要は大きく拡大します。その結果、全国各地で森林の伐採が盛んに進められるようになったため、森林資源の枯渇は深刻化します。

そこで幕府は、森林保全を強化するための施策として、

  • 森林の伐採を禁止する「留山(とめやま)」
  • 公益的な機能回復のための「造林」
  • それぞれの領主によって森林を管理する「御林」の設定

を推進するようになったのです。

御林
明治維新以降にも引き継がれ、今の国有林野事業の原型となった

造林の奨励

1666年(寛文6年)に幕府より下された「諸国山川掟(しょこくさんせんおきて)」では、森林開発の抑制を目的とするとともに、「土砂災害が起こらないよう苗木を植える」といった河川敷の造林も推奨しています。

これによって、各地で

  • 土砂流出防止用の林
  • 水源涵養(すいげんかんよう)のための林
  • 防風林や防砂林

が造成されました。

また、大都市での需要に対応すべく、木材の生産を目的とした造林も行われるようになります。大都市に近く、かつ、河川を用いての流送が容易な地域では、本格的に民間林業が発達。現在にまで続く林業地が形成されたのです。

特に、東北と九州の一部地域では藩が主導となって木材の生産を推進。造林者と藩が木材の販売利益を分け合うという「分収林制度」も誕生します。主に造林されたのはスギとヒノキで、育苗から植栽・保育にいたるまで技術開発が進められました。

諸国山川掟
下流域の水災害を防ぐこと目的として、上流域における森林開発を抑制するための掟
水源涵養
一気に河川へと水が流れ込まないように調節する役割を持つ

 

明治時代の林業

明治時代の林業

林業の近代化

明治時代に入ってからは、積極的に西欧の文化を取り入れることにより林業は近代化していきます。

建築や日用品として多く使われていた木材が、

  • 電柱
  • 鉱山・鉄道の坑木
  • 造船の材料
  • 紙の原料であるパルプの生産

など、さまざまな用途に使用されるようになったのです。

しかし、木材の需要が増えたことで再び森林の荒廃は深刻化します。この問題を解決すべく1897年(明治30年)に制定されたのが「森林法」です。この法律で創設された「保安林制度」によって、本格的に森林の伐採が規制されることとなりました。

森林の整備状況と再生への取り組み

国有林と民有林(公有林・私有林)、それぞれの森林設備状況について見ていきましょう。

国有林においては、1899年(明治32年)から1922年(大正11年)にかけて国有林野を処分・売り払った費用を用いて、無立木状態の荒廃地への積極的な苗木の植栽が行われました。

公有林においては、1920年(大正9年)に開始された「公有林野官行造林事業」によって、森林の整備が実施されます。

私有林においては、1887年(明治20年)ごろから既に先進林業の導入意欲は高まっていたが、日清・日露戦争によって木材の需要が増大したことで一気に林業生産は盛んになり、

  • 新たな林業地の開拓
  • 再生産を目的とした木材の植栽

が行われるようになったのです。

1910年(明治43年)には「第一期治水事業」によって、土砂災害の防止とともに荒廃地を復旧・再生させて植生の復元と回復を目指す取り組みが行われるようになり、1919年(大正8年)には「樹苗育成奨励規則」によって、県および市町村で樹苗養成が行われた際に補助金が支給されるようになりました。

公有林野官行造林事業
市町村の所有する土地、もしくは水源涵養を目的に森林の造成を行う土地を対象に、国の経費を用いて造林し、その収益を分収(分け合う)する制度

 

戦後の森林状況

戦後の森林状況

森林の荒廃

昭和初期には戦争の拡大にともなう軍需物資確保のため、また、戦争が終わった後も戦災によって崩壊した都市を復興させるため、大量の木材が必要となり天然林の伐採が幾度となく繰り返されました。

このように、戦中も戦後も森林を大量に伐採した結果、日本の森林は大きく荒廃。各地で大雨・台風による大規模な土砂災害や水害が発生することとなります。こうしたことから、森林造成の重要性が日本国民の間で広く認識されるようになったのです。

MEMO
終戦時、民有林においては約120万ha、国有林においては約30万haの造林未済地が残されていた

造林の推進

終戦当時の日本では食糧難の方が深刻であったため、造林用の苗畑は農業生産のために利用され苗木の生産はいまひとつでした。

しかし、終戦の翌年である1946年(昭和21年)、自然環境保護のための造林が公共事業に組み入れられ、造林未済地の解消が積極的に行われるようになります。

そして、1950年(昭和25年)には、造林を必要とする地を指定するとともに、その森林の所有者が造林を行わない場合には第三者によって造林を行わせることができる、という「造林臨時措置法」が制定されたことで、苗畑の整備は急速に進められ、苗木の生産もこれにともなって増加していきます。

MEMO
その結果、1960年(昭和35年)には苗畑の面積は7200haを超え、山行苗木の生産本数も13億本に達しました。

また、国土の緑化推進・国民の緑化意識向上を目的とした「緑の羽根募金」が始められたのもこの年です。1950年に始まって以降毎年行われているこの募金は、1995年に「緑の募金」へと名前を変えながら今なお活動が続けられています。

1951年(昭和26年)には森林法が改正され、

  • 森林所有者に対して、伐採後の造林状況の報告を義務化する
  • 民有林において適正伐期齢未満での伐採を許可制にする
  • 違法な森林開発を行った人に対しての罰則を強化する

など、伐採規定が強化されます。

このような、さまざまな施策のかいあってか、1956年(昭和31年)には、現時点での造林未済地への造林が完了しました。

 

古くから続く林業への取り組みは、江戸時代・明治時代・大正・昭和と長い歴史をかけて森林開発・保全が行われています。今なお続く環境問題解決のため、今後も推進されていくことでしょう。