特産品引き継がれていく匠の技「東京の伝統工芸品」とは

引き継がれていく匠の技「東京の伝統工芸品」とは

江戸が東京へと名前を変えても、江戸の粋と職人の確かな技は残りました。時代を重ね、一層磨かれた技術に裏打ちされた高い品質と、使い手のことを考えられた作り、さらにはそこに美しさの備わったものが東京の伝統工芸品として名を残しています。

引き継がれる匠の技「東京の伝統工芸品」

東京の伝統工芸品とは

東京の伝統工芸品には指定制度があります。

指定の条件を満たしている工芸品であることが前提となり、そのうえで東京都伝統工芸品産業振興協議会によって検討され、東京都知事によって指定を受けます。

東京都伝統工芸品産業振興協議会は、伝統工芸品の指定や伝統工芸士の認定などを協議するために、専門家や学識経験者などのメンバーで構成された東京都の附属機関です。

伝統工芸品として指定を受けるための4つの条件

  • 製造工程の主要部分が手工業的であること
  • 伝統的な技術又は技法により製造されるものであること
  • 伝統的に使用されてきた原材料により製造されるものであること
  • 都内において一定の数の者がその製造を行っていること

全ての工程が手作業である必要はありませんが、製品の本質に関わる部分は手作業で行います。織物なら織りの部分、漆器なら塗りの部分といった工程が該当します。

「伝統的」とは、およそ100年以上が目安となります。技法を一切変えないということではなく、製品の特長を変えない範囲での改良は認められます。同じく原材料についても、すでに手に入らなくなった材料の代わりに同種の材料を使用することが認められています。

東京の伝統工芸品の背景

仏教が伝わるのと同時に、寺院や仏像作りに関連した職人が日本にやってきました。さまざまな工芸品も持ち込まれ、伝わった技術や工芸品は日本での生活環境に合わせて改良されていきました。

江戸時代初期に、幕府は京都から優秀な職人を呼び寄せ技術の継承や人材育成にも力を注ぎました。しかし、文化や経済の中心が町人へと移っていくなかで、贅沢を禁じた「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」なども出され、華美なものは禁じられました。一方、それに対抗するかのように、日常生活に使用する工芸品には惜しみなく高価な素材が使われ、後の世に名品と呼ばれる工芸品がいくつも誕生しました。

時代が進み、大量生産が可能な機械化の波に飲まれそうになりますが、土地の伝統と文化に根差した工芸品は徐々に見直され、地域の産業の発展にも一役買っています。

下記は、東京の伝統工芸品に指定されている品の一部です。ほかにもたくさんの品が東京の伝統工芸品に指定されています。

  • 村山大島紬(むらやまおおしまつむぎ)
  • 東京染小紋(とうきょうそめこもん)
  • 多摩織(たまおり)
  • 東京くみひも(とうきょうくみひも)
  • 江戸刷毛(えどはけ)
  • 東京仏壇(とうきょうぶつだん)
  • 江戸つまみ簪(えどつまみかんざし)
  • 東京額縁(とうきょうがくぶち)
  • 江戸更紗(えどさらさ)
  • 東京本染ゆかた(とうきょうほんぞめゆかた)
  • 江戸切子(えどきりこ)
  • 江戸甲冑(えどかっちゅう)
  • 江戸刺繍(えどししゅう)
  • 東京彫金(とうきょうちょうきん)
  • 東京打刃物(とうきょううちはもの)
  • 東京三味線(とうきょうしゃみせん)
  • 東京琴(とうきょうこと)
  • 江戸からかみ(えどからかみ)
  • 東京手植ブラシ(とうきょうてうえぶらし)
  • 江戸手描提灯(えどてがきちょうちん)

ここで、厳選した東京の伝統工芸品4点をご紹介します。

 

「村山大島紬」とは

「村山大島紬」とは

主に東京都武蔵村山市周辺で製造されている織物です。江戸時代に作られていた綿織物の「村山紺絣(むらやまこんかすり)」と、絹織物の「砂川太織り」の2つが合わさり、村山大島紬の基となる織物になりました。

村山大島紬は「板締め」と呼ばれる染色が特徴です。板締めとは、織物の文様を板に彫り込み、その板で糸を挟み強い圧力をかけ、そこに染料を流し込むことで糸を染め分ける染色方法です。彫った部分は染まり、それ以外は染まりません。圧力のかけ具合によっても染まり方が変わってくるため、熟練の技が必要となります。

伝統を守って製造される村山大島紬には40ほどの工程があり、その工程全てが手作業で行われるため、大変な労力が費やされます。

 

「東京染小紋」とは

「江戸小紋」とも呼ばれる東京染小紋は、江戸時代に武士の間で広まりました。諸般の大名は江戸に藩邸を構えていましたが、武士の礼装である裃(かみしも)を藩ごとに決まった柄の小紋で仕立て、他の藩には使わせないようにしていたため、裃の柄を見ればどこの藩だか分かるようになっていたのです。

江戸時代も半ばになると、武士だけではなく町人も小紋を着るようになります。男性に加えて女性の間でも流行しましたが、江戸が終わり明治に入ると男性は着物を着る人が少なくなり、小紋は女性の着物としての使用が多くなっていきました。

小紋は、和紙を小刀などで彫った型紙を使って細かい柄を染めます。遠目からでは一見無地のようにも見える細かい柄で、武士も町人も江戸の粋を競いました。柄が細かくなるほど、型紙を彫る、染めるといった技術が高度に磨かれていき、その技が東京染小紋の品のある細かく美しい柄へとつながっていったのです。

 

「江戸からかみ」とは

「江戸からかみ」とは

からかみは「唐紙」とも書き、平安時代に中国から伝わった「紋唐紙(もんとうし)」と呼ばれる花や鳥、植物などの模様のある色のついた紙を、日本の和紙を使って真似ることから始まりました。

当初からかみは、京都の貴族が詩歌などを書くために用いる「料紙(りょうし)」として使用されていましたが、やがて貴族の屋敷を飾る襖や屏風に使われるようになっていきます。その後江戸幕府が開かれると、多くのからかみ職人が京都から江戸に移ってきました。

江戸からかみは、「唐紙師(からかみし)」「更紗師(さらさし)」「砂子師(すなごし)」という3つの技法の職人によって発展してきました。

唐紙師

版木に彫られた模様を手で和紙に写し取ります。この技法を「木版手摺り」と呼びます。

更紗師

厚みがあってかさばる木版に代わり、軽くて場所をとらない伊勢型紙という染色用の型紙と刷毛を使って摺っていきます。

砂子師

金箔や銀箔を貼る、または粉末状にした金銀箔で和紙を飾る技法を使います。

それぞれの技法を使う職人は互いに切磋琢磨し、時に協力し合い、江戸からかみの技術を向上させていきました。

 

「東京仏壇」とは

貴族や武士の間で広まっていた仏教が庶民にも広がり、寺院が町中にも増えてくるにしたがって、仏壇を求める人も増えてきました。

東京仏壇は、仏師や指物師と呼ばれる江戸の家具職人が、空いた時間に作ったものが始まりです。東京仏壇の特徴のひとつである唐木材が使われるようになったのは1840年ごろ。唐木材には「黒檀(こくたん)」「紫檀(したん)」「桑」「欅」などがあり、中国から輸入された木材であることからそう呼ばれていました。

渋好みの江戸っ子に合わせたシンプルで荘厳な美しい東京仏壇は、丈夫で虫がつきにくく、唐木材それぞれの色や木目を生かしていることも特徴です。伝統的な技法による仏壇の製造に手間はかかりますが、次の世代につなげるために丹念に手作りされています。

 

日常生活のなかで使われることが前提である東京の伝統工芸品には、時代に即した改良が施されてきました。しかし、本質や製造の技法は変わっていません。受け継がれてきた伝統を忘れず、常に身近な存在であり続けることが長く愛されている秘訣なのかもしれません。