歴史ある日本の伝統工芸小石原焼の歴史と特徴|その良さを同じ福岡の高取焼とともに解説

福岡を代表する工芸品「小石原焼」と「高取焼」を知ろう

九州の玄関口である福岡県を代表する焼き物の工芸品として、日常使いに向いた素朴な風合いを特徴とする小石原焼と、窯場を移しながら時代とともにさまざまな魅力を打ち出し続ける高取焼があります。そこで今回は、小石原焼と高取焼の歴史と良さについて紹介していきます。

小石原焼の歴史

小石原焼の歴史

伊万里焼の製法にならった「中野焼」の時代

小石原焼は、1682年に福岡の藩主だった黒田光之が伊万里から陶工を招き、現在の福岡県朝倉郡東峰村小石原地区で窯場を開いたのが始まりです。

当時、この地域は中野という地名だったことから「中野焼」と呼ばれ、伊万里焼の製法にならって磁器が作られていました。

一時は途絶えた中野焼でしたが、1729年ごろ、小石原地区ですでにあった高取焼と交流することで現在の陶器が作られるようになり、小石原独特の焼き物が形成されました。

伊万里焼は有田焼?
伊万里焼と有田焼は、原料だけでな製法・技法も同じため、伝統工芸品の呼び名としては「伊万里・有田焼」とされています。異なる名称となっているのは、歴史的に運搬の方法が船から鉄道へと変化したことに由来します。詳しくは有田焼のページに記載をしています。
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なお、小石原焼のルーツとしての中野焼と、過去に長崎県平戸市に存在した中野焼は別の種類となります。

長崎県の中野焼は約50年で幕を閉じる
長崎県平戸市では1598年に中野地区で中野窯が作られ、松浦家が朝鮮出兵の際に連れ帰った朝鮮出身の陶工らに陶器を焼かせました。この陶器も中野焼と呼ばれ、茶器やかめなど、質の高い品を排出していましたが、佐世保市三川内町に陶工を移動させて御用窯を開くことを契機として、1650年にその歴史を終えました。なお、三川内地域での焼き物は現代でも三川内焼(平戸焼)として愛され続けています。
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民芸運動で「用の美」を極めた器として脚光を浴びる

小石原焼が有名になったのは、20世紀初頭の民芸運動がきっかけです。民衆による工芸品を発掘して広めるという運動において、小石原焼は「用の美」を極めた器であるとして注目が高まったのです。

1958年にブリュッセルで開催された万博日本館第3部では小石原焼がグランプリを受賞し、その後は全国へと販路を広げます。そして、1975年には陶磁器として初めて、通商産業大臣より国の伝統工芸品に指定されました。

「用の美」のルーツは益子焼
「用の美」に注目が集まったきっかけは栃木県の益子焼です。1927年に、後に人間国宝にもなる濱田正司が益子町で「用の美」を訴えて民芸運動を唱えたことで、丁寧に作り込まれた日用品の美しさがしっかりと認識されるようになったのです。その後、この考え方は小石原焼だけでなく多くの工芸品に影響を与えました。詳しくは以下の益子焼のページをご覧ください。
おしゃれな伝統工芸品「益子焼」とは 益子焼の特徴|美しさはその歴史にあった!

350年以上の歴史「民陶むら祭」

民陶むら祭は、福岡県東峰村小石原地区で350年以上の歴史がある小石原焼の窯開きのお祭りです。同地区の周辺の50件ほどある窯元が日常使いの食器を中心に一斉に蔵出しをして、通常より安く陶器を購入できることから、毎年多くの陶器収集家や食器ファンでにぎわいます。陶器販売のほか、イベントブースでは絵付体験などもできます。

民陶むら祭は毎年春と秋の2回開催され、例年、春は5月3・4・5日の3日間、10月は体育の祝日を最終日とする土・日・月曜日の3日間で、毎年多くの陶器ファンが訪れます。

 

小石原焼の特徴

小石原焼の特徴

赤土による質感や化粧土

小石原焼の窯元が多く集まる福岡県朝倉郡東峰村は、福岡県中央部の東端、大分県に隣接する山間地域に位置します。

山々に囲まれた自然豊かな土地で陶土に適した土と窯の燃料となる木材に恵まれていたことから、小石原区域は焼き物の産地として発展しました。現在でも原料となる陶土は近隣の山で採取されています。

小石原焼の特徴として、日常で使われる器としての素朴で温かみのある風合いがありますが、同地区で採取された赤土がこの素朴な質感を生み出しているのです。

また、原料の陶土で成型した後に化粧土という鉄分の少ない白い色をした陶土をかけて生乾きの状態で文様をつけていく技法は、小石原焼のもう一つの大きな特徴です。

主な技法は以下のとおりです。

飛び鉋(とびかんな)

生乾きの生地に化粧土をかけた器をろくろで回転させながら、弓形のように曲がったかんなの刃先で規則的に化粧土部分を削り取って模様をつける技法です。

リズミカルで均等な模様が特徴になります。

刷毛目(はけめ)

化粧土をかけてすぐの器をろくろで回転させながら、刷毛を当てて線で模様を付ける技法です。刷毛の当て方で、細い線や太い線の模様に強弱が生まれます。

生乾きの状態で手早く作業することにより、線の間隔が美しく仕上がります。

櫛目(くしめ)

刷毛目と同様に化粧土をかけてすぐの器に、先端が細かく別れた櫛状の道具で波型などの模様を入れる技法です。

ろくろで1回転して一つの櫛目ができあがります。

指描(ゆびかき)

化粧土をかけた器をろくろで回転させながら、渦巻き状に指で線を描く高度な技法です。

流し掛け(ながしかけ)

ろくろを静かに回転させながら、焼き物の生地の表面に釉薬や化粧土を等間隔で流していく技法です。

打掛け(うちかけ)

成型した焼き物の表面に釉薬を少しずつ浴びせかける技法です。生地にそのままかける方法と釉薬をかけたうえにさらにかける方法があります。

窯元:鶴見窯

鶴見窯は、素朴な土の温もりと質感を大切にする小石原焼の伝統を守りながら、斬新で現代のライフスタイルになじむ器作りに取り組んでいる小石原焼の窯元です。

皿や鉢、碗、コーヒーカップなど日常使いできる器で、和洋どちらにも合う焼き物が多く取りそろえてあります。

贈答品としても人気の「カフェオレボウル+平皿セット」は、土の温かみを感じる柔らかいグレーとうずまき模様がおしゃれな商品です。

 

小石原焼の窯元復興へ

小石原焼の窯元復興へ

九州豪雨災害の影響

2017年7月の福岡県と大分県を中心とした集中豪雨(九州北部豪雨)により、小石原焼の窯元である福岡県朝倉地域でも甚大な被害が発生しました。

朝倉市は最も被害が大きかった地域の一つで、多くの蔵元が被災し、家屋が流されたり土砂の流入により倒壊するなどしました。これは、伝統工芸品の小石原焼作りにも大きな影響を与えました。

小石原焼復興のための支援

福岡県と村は、共同利用できる窯を小石原焼伝統産業会館の敷地に新設することを決定し、一日も早く生産が再開できるよう支援を開始しました。

また、福岡県内や東京都内の伝統工芸品を取り扱う店で特設スペースを設けて小石原焼を販売するなどの災害支援販売活動を展開し、復興支援を行っています。

 

「綺麗さび」の高取焼

「綺麗さび」の高取焼

高取焼の歴史

高取焼は、1600年、筑前福岡藩の初代藩主だった黒田長政が朝鮮出兵の際に朝鮮陶工・八山を連れて帰り、現在の福岡県直方市郊外に位置している鷹取山の山麓で開窯させたことが始まりです。開窯の地名から「高取焼」と命名され、直方市は高取焼発祥の地として知られています。

黒田長政の死後、高取焼は移窯を繰り返し、1630年に白旗山(現在の福岡県飯塚市)で再び窯開きとなりました。

その際に茶人小堀遠州の指導を受けたことから、遠州好みの七窯(赤膚・上野・高取・古曽部・志戸呂・膳所・朝日)の一つとなり、高取焼の作品は「遠州高取焼」と呼ばれて知名度が高まったと言われています。

さらにその後は、福岡県朝倉郡東峰村小石原地区へ窯を移し「小石原高取」と呼ばれました。

このように、福岡県内で移窯を繰り返したことが高取焼の歴史の大きな特徴であり、現在では福岡県内の広範囲に高取焼が点在しています。

高取焼の特徴

高取焼は、前述のとおり移窯を繰り返した歴史から、時代によって大きく趣向が異なります。主に、鷹取山で開窯されてからの数十年の初期「古高取」、白旗山での「遠州高取」、小石原の「小石原高取」に分類されます。

なかでも遠州高取は、遠州七窯の一つで「綺麗さび」と呼ばれる世界を確立しました。

磁器のような薄さと軽さが特徴で、微妙な調合により作られた個性的で華麗な釉薬ときめの細かい繊細な作風も特筆すべき点です。また、小石原高取は小石原焼に影響を与えたとされています。

綺麗さび
江戸時代の茶人で遠州流茶道の開祖、小堀遠州が生んだ美的概念を示す言葉

窯元:雪山窯

ますや雲湧堂 福岡県遠州七窯高取焼 雪山窯

雪山窯は1965年に鬼丸雪山が開いた高取焼の窯元で、名工初代雪山の茶陶の伝統を守り、茶道具を中心に製作しています。

茶道具専門店のますや雲湧堂が販売する「雪山菱水指」は高級茶道具の骨董品で、傷がなく保存状態の良い品です。

菱水指
茶道において茶釜に水を足したり、茶碗や茶筅(ちゃせん)を洗う水を入れておくための茶道具の一つ

 

古い歴史を持ちながら「用の美」として飾らない素朴な日常使いの器である小石原焼と、時代とともに移窯しながら独特の特徴を作り上げた高取焼は、これからも福岡の地域ブランドとして大切に受け継がれていく伝統工芸品であり続けるでしょう。