この記事の目次
千葉の伝統工芸品「房州うちわ」
房州うちわとは
丸柄と細かい骨が特徴の房州うちわは、千葉県南房総市と館山市の伝統工芸品です。柔軟性のある女竹を使ったうちわは、丈夫でしなやか。うちわの骨である女竹の伐採から仕上げまで、21もの工程を経て完成となります。
秋から冬にかけて伐採される竹一本から作られるうちわは二、三本ほど。選別された竹は磨きあげなどの処理を施してから、先端を48等分~64等分に割き、骨を作る編竹作業に入ります。
柳の枝などを使い左右対称となるよう、丁寧に窓を作成。骨を交互に広げてうちわの形にしてから、うちわの形に整える穂刈りと焼きを行います。骨ができたらのりを塗り、空気が入らないように紙や布を貼り、全体を整えた後にヘリ付け。柄尻に漆を塗ったら仕上げをして完成です。
竹の伐採から編竹に入るまで7工程、さらに焼きまでは14工程かかることから、時間をかけ、丹念に作られていることが分かります。
房州うちわの歴史
房州うちわが誕生したのは1877年(明治10年)。現在の館山市那古で作られたうちわは近隣に広まり、1884年(明治17年)には岩城惣五郎が東京より職人を呼び寄せ、本格的にうちわ骨作りが始まります。
明治時代と大正時代は東京で仕上げが行われ、房州ではうちわ骨だけ作られていましたが、1923年(大正12)年の関東大震災で東京・日本橋のうちわ問屋の大半が消失。問屋が現在の館山市船形に移住していきます。これを機に房州のうちわ作りは盛んになりました。
那古や船形、富浦といった漁師町の女将の内職として作られたうちわの数は、年間700万本~800万本とも言われています。昭和の初めまで盛んに作られていた房州うちわは、日本各地にその名が知られるようになりました。
そして、2003年(平成15年)には千葉県で初めて国の伝統的工芸品に指定されるなど、名実ともに千葉を代表する伝統工芸となっています。
生産量は減るもインテリアとして重宝
先述したとおり最盛期には年間700万本~800万本が生産されていましたが、戦後は急速に扇風機やエアコンが浸透したことで生産量は減少し、今では年間100万本程度に落ち着いています。
しかし、日用品としてではなくインテリアとしての需要はますます高まりました。浮世絵などの柄の布地がベースとなった和風なものや、手ぬぐい生地のものもあります。
そして、これと同じタイミングで、竹の根が持ち手に使用された商品や、幅が広くて楕円形の商品といったバリエーションも増えていきます。
ほかにも、あさくさ江戸屋で販売されているオリジナルの「江戸浴衣地房州うちわ」は、厳選した浴衣地を使い、職人が一つひとつ手作り。美しい窓と一本の竹から生まれる弾力が心地よい風を生み出します。
大きさは幅が約29センチ、長さ約40センチ、柄は約13センチ。老若男女問わず使える、落ち着いた品のあるうちわです。
京都の伝統工芸品「京うちわ」
京うちわとは
京うちわの最大の特徴は、うちわの面と柄が別に作られる挿し柄構造。紙に骨となる竹ひごを貼り、後から柄を挿し込みます。
竹ひごの数が多ければ多いほど高級品とされ、少ないものでも50本並べた5立て。60本並べた6立て、70本並べた7立て、80本並べた8立て、90本並べた9立て、100本並べた100立てまであり、8立てと9立てが上級品、100立ては主に飾りうちわとして用いられています。
制作工程は全16工程。うちわ骨加工・うちわ紙加飾・裏張り加工・仕上げと、大きく四つの作業から成り立っています。うちわ骨加工では竹の切断から竹を割り広げうちわ骨の形にするまで、うちわ紙加飾では手描きや木版・染色などでうちわ紙を加飾します。
その後、京うちわを作るにあたり最も難しいと言われている裏張り加工が行われます。裏張り加工は、放射線状に並べた骨をうちわ紙に貼り合わせる作業です。一本一本丁寧に骨を貼る作業は高い技術が求められます。仕上げでは表の紙を貼り成形、柄を付けたら完成です。
京うちわは丸型、角型、長柄型、羽子板型、千鳥型、扇形型と、形が多彩なことも特徴です。
京うちわの歴史
京うちわのルーツは朝鮮うちわと言われています。南北朝時代、日本人の海賊・倭寇により西日本に持ち込まれたとされ、紀州から大和、そして、京都貴族の別荘がある深草に伝わりました。
別名「都うちわ」と呼ばれるように宮廷貴族に愛されたうちわで、表には漆や金などで美しく豪奢な絵が描かれました。
京うちわの特徴である挿し柄構造が確立されたのは江戸時代。狩野派や土佐派が施した御所うちわから始まったと言われています。
間もなく京うちわは庶民にも広まり、涼をとれる道具として愛用されるようになりました。
京うちわ 阿以波「特型両透うちわ」
創業1689年(元禄2年)という阿以波。7代目から京うちわ専門店として、実用的なうちわから装飾用のうちわまで、幅広くうちわ作りをしています。
「特型両透うちわ」は、繊細で美しい大型の透かしうちわ。毎年、四季折々の花鳥風月をあしらったうちわが登場し、日本の四季の美しさを堪能できます。
放射線状に広がる細い骨に描かれた絵柄は、彩色も見事。和室だけでなく洋室や玄関にもマッチする上品なうちわです。
生産量日本一!香川の伝統工芸品「丸亀うちわ」
丸亀うちわとは
日本一のうちわ産地とも言われる香川県・丸亀で作られている丸亀うちわ。国の伝統工芸品に指定されているうちわは、骨と柄が一本の竹で作られているものが多い、という特徴を持っています。
形状や色・柄も多岐にわたっており、持ち手部も平らな平柄(ひらえ)と丸い丸柄(まるえ)の二種類があります。
また、丸亀うちわが高い生産量を上げる理由としては、伊予(愛媛県)の竹、土佐(高知県)の紙、阿波(徳島県)ののりと、材料が近くにあることも挙げられます。
制作工程は47工程。大きく骨と貼りの工程に分けられます。切りそろえた竹の穂先に32本~42本の切り込みを入れる「割き」を行った後、切り込みを入れた竹をもみおろす「もみ」、ふしに穴を開ける「穴あけ」作業が行われます。
柄の仕上げとなる「鎌削り」は、小型で柄を削りうちわの曲線を生み出す作業。うちわの種類によって異なる仕上げがなされます。
その後、糸と使って穂を編み、地紙の貼り付け。さらに、たたき鎌を使った「たたき」が行われます。たたきは京丸、中満月などうちわの形状をした「たたき鎌」を木槌で叩き、余分な部位を取り除く作業です。これにより最終的なうちわの形状ができ上がります。
最後にうちわの周囲にへり紙を付け、鎌の両端にみみを貼り付け、完成です。
丸亀うちわの歴史
丸亀うちわの起源は江戸時代。1600年(慶長5年)と言われています。丸亀の旅僧が一宿の礼にと伝授したことに始まり、1633年(寛永10年)には金刀比羅宮参拝の土産物として「渋うちわ(男竹丸柄うちわ)」が誕生。
天狗の羽団扇にちなんだ朱色に丸金印の渋うちわは、金毘羅大権現の別当、金光院住職宥睨(ゆうげん)考案と伝えられています。
1781年~1789年の天明年間には、京極丸亀藩が藩士の内職に「女竹丸柄うちわ」を推奨。丸亀うちわは全国に広まっていきます。
明治時代になると大量生産に適した「男竹平柄」が誕生し、以後、生産量が全国シェア9割に上るほど需要が拡大。1997年(平成9年)には国の伝統的工芸品に指定されています。
丸亀うちわのさまざまな形
さまざまな形状を持つ丸亀うちわ。古くより全国各地からうちわ作りを依頼されたことにより各地の要素が取り入れられ、骨と柄が一本竹のさまざまな形状をしたうちわが誕生したと言われています。
うちわ骨の形状には、「京丸」「中満月」「七八タキ」「昭和」「一文字」などがあります。
うちわ工房 三谷「丸亀うちわ 竹製手作り 柿渋 小判型 団扇」
細長い小判型をした丸亀うちわです。赤・青・緑・黄・オレンジと5色あり、無地であるものの存在感もしっかり。小ぶりなので女性が持っても大きすぎず、お祭りなど外に行く際も邪魔になりません。
うちわの表面に塗られた柿渋は、塗って乾かすという作業が四度繰り返されており、丈夫であることも特徴の一つ。
手触りも良く使いやすさも抜群。第30回全国伝統的工芸品コンクールでは生活賞を受賞しているうちわです。
日本の三大うちわ、いかがでしたか。千葉の「房州うちわ」、京都の「京うちわ」、香川の「丸亀うちわ」、どのうちわも歴史が古く、地元の風土や文化をしっかり持っているものばかり。実用性に優れたうちわで日本の涼を体感してみてはいかがでしょうか。