歴史ある日本の伝統工芸大島紬の特徴と魅力|歴史や作り方と気になるお値段も紹介!

大島紬の特徴と魅力|歴史や作り方と気になるお値段も紹介!

大島紬は鹿児島県奄美大島が発祥の高級絹織物で、「着物の女王」と評されるほか、世界三大織物の一つに選ばれるほどの魅力を持ちます。奄美大島では奈良時代から手紡ぎ糸で褐色紬が織られていたとされますが、そんな大島紬の特徴や歴史、さらには作り方や値段についても解説していきます。

大島紬の特徴

大島紬の特徴

大島紬(おおしまつむぎ)は、民族衣装を代表する「着物の女王」とも言われ、フランスのゴブラン織・ペルシャ絨毯と並ぶ世界三大織物の一つにも選ばれているは日本の伝統的工芸品です。

泥染でしなやかに・光沢感にあふれる

大島紬、奄美ではポピュラーな木として知られるテーチ木で染めた後、泥を使って黒く糸を染めます。こうすることにより、しなやかで光沢感のある織物が生まれます。

「年貢として取られるのが嫌で大島紬を泥田の中に隠しておいたとことろ、後で泥の中から取り出してみると、テーチ木の染料で染めたはずの茶褐色がきれいな黒に染まっていて驚いた」という話が泥染めの始まりという説もあります。

締機による緻密な絣柄

1907年ごろに「締機(しめばた)」という織機が開発されました。これは太糸で織り締めるための特殊な織機で、太糸を経(たて)、絣糸の束を緯(よこ)として、絣模様にしたがって部分的に織り締めます。

これは世界でも珍しい特殊な方法で、締機の開発によってさらに緻密な絣柄(かすりがら)が作られるようになりました。

絣柄
十字や田の字のように、細かい線が複雑にちりばめられたデザインのこと。

着崩れしにくく長く着られる

独特の渋みと色合いを持ち軽くて着崩れしにくいことと、絹100%なので織る時に「キュッキュッ」と音がすることも特徴です。さらに、大島紬は糸を先に染めてから織るため、裏表がなく長く着られる丈夫な織物と言えます。

 

大島紬の歴史

大島紬の歴史は古く、734年の奈良東大寺の献物帳にも記録されているため、日本において最も古い歴史と伝統を持つ織物とされています。

江戸時代中期〜後期

紬が一般的に広まっていたと考えられているのは江戸時代中期の1720年ごろからで、薩摩藩が奄美の人びとに紬着用禁止令を出したという記録が残されています。

この当時は、「真綿(まわた)」から紡がれた手紬糸を「地機(じばた)」によって織っていました。柄は無地や格子などの簡単な平織りが、染色はテーチ木やシイなどさまざまな植物の葉や実・樹脂などを用いての草木染めが主流となっていました。

真綿
まゆを煮てから引き延ばして作られる綿のこと。やわらかくて光沢があることが特徴。
地機
手織り機の一種で「神代機」とも呼ばれている。腰に回した帯で縦糸を結びつけ、身体全体を使って織っていくもの。

そして、江戸時代後期の1800年ごろには、奄美では「トリキリ」と呼ばれている絣柄が使われるようになります。

トリキリは2種類~3種類の絣を組み合わせることで簡単な模様を作成する程度のものでしたが、奄美の黒糖と並んで将軍家への献上品や交易品として活発に織られていました。

明治時代

明治時代初期の1870年ごろ、大島紬は献上品としてだけではなく商品として取引されるようになったことで、農民からも大きな支持を得るようになります。長く献上品として用いられてきた大島紬が商品として広くその魅力を伝えられるようになったことは、大島紬を大きく飛躍させることへとつながります。

そうして大島紬の需要は日に日に拡大して、生産も軌道に乗り、家内工業だったものが工場生産へと変化。工場生産になったことで、生産工程の分業化など生産技術が改革されていったのです。

明治時代中期の1890年には、喜界島出身であった浜上アイによって細かい絣模様を簡単かつ的確に合わせる技法が考案され、大島紬の品質は飛躍的に向上。同年の4月に行われた第三回内国勧業博覧会で好評を得たことで、その価値は広く認められるようになります。

さらに明治時代後期の1897年には、織機が「地機(じばた)」から「高機(たかばた)」に変更されたことで生産能率が上昇します。

1901年に鹿児島県渡島紬同業組合が設立し、品質の向上と信用の保持という目標を掲げて製品の検査が行われるようになります。その後はさまざまな検査が繰り返し行われたことで品質が改善し、大島紬は高級織物として全国的にその名をとどろかせるようになります。

そして、ついに1907年(明治40年)、現在でも使用されている世界で最も精巧で精密な絣柄を作り出せる技術「締機(しめばた)」が開発されたのです。

高機
地機(じばた)を改良したもので、座りながら作業を行うこともできる

大正〜昭和

締機が開発されたことで加工が困難だった大きな柄の加工も簡単になり、大正時代には製織能率が大幅にアップします。これによってデザインの幅が広がり、さらに大島紬は成長していきます。

1929年(昭和4年)、泥染めの大島紬の部分的な色差しに合成塗料が使用されるようになり、色彩豊かな製品が生み出されていきます。これにともない撚糸(ねんし)技術の開発が行われるようになり、大島紬のデザインは多様化していきました。

1945年、米軍による空襲で生産は途絶えてしまいますが、1955年には生産を再開。「摺り込み(すりこみ)染色法」が開発されたことで、生産数は再び加速していきます。

その後も生産数は増加し続け、1975年には国の伝統工芸品に指定されます。その翌年には87万反という爆発的な生産数を記録しました。

摺り込み染色法
染料を直接すりこむことで糸に色を付けていく方法。にじみを防ぐために染料にのりを混ぜている。

平成〜令和

日本の誇るべき着物として長い時代を受け継いできた一方、日本人の生活スタイルが多様化したことで着物の需要は著しく低下していき、平成20年度時点では生産量は約5万反に激減。その後もさらに生産数は低下し続けており、伝統再建への課題は山積みです。

大島紬の魅力を知って「いいな」と思っても、着物は一人では着られないし、なかなか着る機会もありません。そこで、大島紬を利用した着物より少し手ごろな値段で買える小物も登場しています。

毎日使えるものとしては、ショルダーバッグや大島紬とキャンバス生地・革を合わせたトートバッグ。バックに大島紬を取り入れることで和装や洋装、カジュアルにも合わせられるのが魅力です。

女性向けにはシュシュや化粧ポーチ・日傘もあり、男性向けにはネクタイや名刺入れ・財布などがあります。ちょっと目を引く小物はプレゼントにもおすすめ。さらにはスマホケースやキーケース、定期券入れやステーショナリーグッズも販売されています。

 

大島紬の作り方

大島紬の作り方

大島紬の作業工程は全部で60以上にもなりますが、 大きく以下のように分けることができます。

図案

絣を点で描き、原図の構成・骨法(途切れない柄のレイアウト法)・原図からの構図取り・色の構成を糸の密度に合わせながら決めます。これは大島紬の骨組みとなる大切な工程で、今ではデジタル化が進んでパソコンでの作業が主になっていますが、以前は全て手描きで方眼紙に一つずつ点を打っていました。

大島紬は完成までに6ヵ月以上かかるので、できあがった時に好まれる色や柄を考慮して作られています。

のり張り

後の工程で締機を使って絣を織り込むためには、必要な本数の糸をそろえてから糊で固めておかなければなりません。絣糸は反数によって糸の本数をそろえて、イギス・フノリを付けて日光で十分乾燥させます。

絣締め

絣糸の模様となる部分を、模様に合わせて一本ずつ染める部分と染めない部分に分けます。

染め

テーチ木の幹と根を小さく割って釜で約14時間煎じます。その汁で20回、染め泥田で1回染めることを一つの工程として、これを3回~4回繰り返します。すると、テーチ木のタンニン酸と泥の鉄分とが反応して独特な渋い黒の色調に染め上がります。

加工

ひと口に「加工」と言っても、大島紬を作る中で最も多くの工程があります。主なものは「色差し」「目破り」「絣全解」「板巻」。織る前の糸に染料を刷り込ませたり解いたりして大島紬を織るための糸の準備をします。

織り

高機(たかばた)という織り機を使い、職人の手で一糸ずつ図案通りに織っていきます。熟練した女性の仕事ですが、一日に織れるのは20cm〜30cm。5cm~7cm織るごとに、経糸と緯糸でできる点々(絣)を針の先で正確に合わせていきます。

検査

織りあがった大島紬は検査場に持ち込まれます。 ここで長さ・織幅・絣不揃い・色ムラ・織キズ・量目不足など18項目におよぶ厳しいチェックが行われ、合格・不合格が決められます。

合格した大島紬には「証紙」が貼られます。この証紙は「登録商標」の意味合いになり、検査で規定の基準を満たして合格となった反物に与えられるものです。

  • 鹿児島産の「旗印」
  • 奄美大島産の「地球印」
  • 宮崎県の都城産の「鶴印」

が大島紬の証紙となります。

 

大島紬の気になるお値段は?

着物の女王としての大島紬

大島紬は明治・大正・昭和にかけて全国的な人気を博しました。1975年に国の伝統的工芸品に指定されると多くの人が憧れて買い求め、翌年には87万反以上の生産数を記録します。

「着物の女王」と言われている大島紬ですが、訪問着などを除いたほとんどの大島紬は着物の格としては「普段着」の扱いになり、フォーマルな席・儀式・目上の人の家を訪問する時は避けるべきとされます。

それでも高価で手間がかかっているので、普段の生活に贅沢感を与えてくれる活用度の高い着物であり、高級絹織物として着る人のステータスシンボルとなっています。

高級なものではなんと100万円以上の場合も

大島紬の気になる値段は30万から70万円ほど、さらには100万円以上するものまでと幅があります。やはり手間がかかっているだけに高価なものです。

大島紬には「マルキ」という、経糸1240本に対しての絣(かすり)糸の本数の単位があり、1マルキは絣糸80本。絣の構成にもよるので一概には言えませんが、マルキ数が多いほど柄が細かくなり織る手間が増えるので高額になります。

中古・買取から見た大島紬

若い人を中心に着物を着る人口が減少し、生活の欧米化・着物の高額化などで着物離れも進み、特別な席でも着物を着ている人を見かける機会が少なくなっています。

昔は「着物は財産」として転売の利益が高い時代もありました。しかし、着物離れが進んだ中古着物市場では、遺品の整理などで供給が増える一方で着る人は少ないために需要が減少しています。

着物の相場・買取価格は、状態・サイズ・グレード・付加価値によって着物ごとにかなりの差があります。未使用でかつ購入時に数十万した高価な着物でも、オーダーメイドなどサイズが小さすぎるものはかなりの安値になったり、汚れやダメージがあれば値段が付かない場合もあります。

大島紬の中古相場
「大島紬をいつか着てみたい」と願う人や愛好家も多いため、3万円程度から購入が可能です。

 

伝統工芸品の大島紬を日常生活に取り入れてみたいという人は、この機会にぜひ身近なワンポイントから始めてみてはいかがでしょうか。