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加賀友禅の特徴
加賀友禅は、主に着物地や帯・小物に使われる染色品のことで、石川県の伝統工芸品の一つです。ほかの地域で作られる友禅に比べて手仕事の部分を多く残しており、1975年には経済産業省指定伝統的工芸品として認定されています。
武家風の落ち着いた趣
加賀友禅は、江戸時代から継承された伝統技法によって製作されます。
文様に描かれる曲線やまっすぐな線は、精密な線の形にこだわって微妙な加減を表現しながら熟練の職人によって手仕事で描かれています。大部分の工程が今でも手仕事であることから、加賀友禅は着物の中でも特に格調が高いと言われているのです。
また、加賀友禅は武家文化の中で育まれたこともあり、武家風の落ち着いた趣を基本としています。色合いは「加賀五彩」を取り入れた多彩な配色で、「ぼかし」や「虫喰い」などの表現でアクセントを入れています。
加賀友禅の作り方
加賀友禅は、主なものだけでも9種類の工程を経て作られます。工程の多くは熟練の技を持つ職人の手仕事によるものです。
- 手順1図案伝統的な意匠をもとに図案を企画立案します。
- 手順2下絵着物の形に仮縫いした白生地に、模様の輪郭を線で写しながら描きます。
- 手順3糊置下絵の線に沿って「糸目糊」と呼ばれる糊を引きます。これは、彩色の際に染料が模様の外に染み出さないようにするためです。
- 手順4彩色筆と小刷毛を用いながら、手早く模様に色を塗ります。
- 手順5中埋全体の地色を染める前に、先に描いた模様の部分に地色が入らないように糊で模様全体を埋めます。
- 手順6地染高度な技術が必要な作業で、着物全体の色をムラなく刷毛で塗ります。
- 手順7蒸し地色が乾いた後の作業で、蒸気が立つ箱の中に生地を入れて蒸します。蒸すことで生地表面の染料が繊維の組織に入り、染色が定着するためです。
- 手順8水洗川で糊や染色を洗い流します。金沢の町の風物詩「友禅流し」はこの水洗作業のことですが、現在ではほとんどが人工川で行われます。
- 手順9仕上げ水洗いをした生地に「湯のし」などの作業を行い、顔料で上仕上げをして完成となります。
加賀友禅と京友禅の違い
京友禅も宮崎友禅斎の影響を強く受けた友禅染めです。
加賀友禅は加賀五色を基本としてやや沈んだ深い色調のものを用いるため艶やかですが、京友禅は朱・緑・水浅葱・薄青・桃色などやわらかくて明るい色調を持ち、華やかなで上品な印象となります。
絵柄においても、加賀友禅は草花や鳥など絵画調で自然描写を重んじるのに対し、京友禅は御所車や花熨斗(はなのし)など図案調の古典柄や幾何学模様が多くなっています。
そのほか、刺繍や金箔をアクセントに用いる技法は京友禅特有。この違いは、京都が華やかな公家文化なのに対し、加賀は武家文化であることも背景にあるとされています。
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加賀友禅の歴史
微妙な色合いが表現できる梅染がルーツ
加賀友禅のルーツは「梅染(うめぞめ)」と呼ばれる染色技法です。
梅染とは、梅の木の皮や根を材料にして作った染色液で染める技法のことで、1465年の室町時代の文献にも記されているほどその歴史は古く、染める回数により微妙な色合いを表現させていく繊細な技法です。
梅染は全国各地で行われていましたが、加賀は絹や麻の産地で、染色の際に必要な川や用水に恵まれており、古くからさまざまな染色技法が伝えられていて技術レベルも高かったことから、特に有名でした。
その技法を元に、江戸中期の1712年に京都から加賀に移り住んだ扇絵師の宮崎友禅斎が絵画調の模様染めを指導したことから、加賀友禅は生まれました。
友禅染で有名な宮崎友禅斎が技術を伝える
宮崎友禅斎は、石川県で生まれたのち京都で染色技術を考案した人物で、知恩院前で扇絵師として絵を描き、晩年は加賀に戻って加賀藩御用紺屋棟取の太郎田屋で模様染めの染色技術を伝えました。
「加賀百万石」とも称される栄華を極めた加賀藩の保護のもと、武家文化の中で宮崎友禅斎の技法は確立していったと言えます。
江戸時代後期には染色技法が進化し、全国でも染色の大部分の図案がパターン化されるなか、加賀友禅はいまだに絵師による手書き絵文様が描かれ、現代に受け継がれています。
人間国宝の指定と全国への普及
しかし、技術の確立がなされ、優秀な作家・作品を多く輩出し続けていたものの、思ったように全国にその良さが伝わりません。時代は、明治からすでに昭和中期へと進みます。
そして、ようやく加賀友禅が脚光を浴びる時が来ます。1937年(昭和12年)のパリ万国博覧会で銀賞を受賞した友禅作家として知られる木村雨山が、人間国宝(友禅保持者)に指定されたのです。時は1955年(昭和30年)、これがきっかけになり、加賀友禅は全国へとその名を広げていったのです。
加賀友禅の魅力あふれる逸品
京都かもがわ 本加賀友禅特選振袖志田弘子先生作工芸花文
京都かもがわは、加賀友禅の着物を中心に上質な着物の提案と仕立を行う呉服専門店で、通信販売でも購入できます。
「本加賀友禅特選振袖志田弘子先生作工芸花文」は、古典の華やかな白黄色系の地色。寺西一紘大先生に直接師事を受けて加賀五彩の新しい色彩を研究した志田弘子先生の作品で、手書きの技術によるものです。
大胆な花文様とぼかしの技術を取り入れた豪華で華やかな振袖は、ハレの日に最適でしょう。
加賀友禅以外で有名な地域ブランド「金沢箔」
金沢箔とは
金沢箔は石川県で作られた金箔のこと。石川県の伝統工芸産業の一つであり、国内の金箔生産量の98%を占めています。
金閣寺や日光東照宮といった神社仏閣のほか、漆工芸品や陶磁器、織物などさまざまな伝統工芸品にも用いられています。
古くからの歴史と、良質な水と湿度の高さをはじめとする気候風土、丁寧で緻密な作業を粘り強く行う職人気質が合わさり、金沢箔は高品質の金箔としてその名を不動のものにしています。
金沢箔の特徴
金箔は、純金に微量の銀と銅を加えた合金を薄く伸ばして箔状にしたものです。
金沢箔は、金の輝きを保ちつつ複雑な模様の材料にも使用できるほど薄いことが特徴です。その薄さは1万分の1ミリで、10円玉サイズの金箔を畳4枚分の広さまで均一に広げていることになります。
金沢箔の歴史
金沢における金箔の歴史は戦国時代後半までさかのぼります。
1593年、加賀藩初代藩主の前田利家は、豊臣秀吉の朝鮮出兵により滞在していた陣中より金箔の製造を命じる書を送っていました。ここから、当時すでに金箔の製造が行われていたことが分かります。
戦国時代には金箔は権力の象徴として調度品や瓦などに使用されていましたが、江戸時代に入ると幕府の命により金箔作りは厳しく統制されました。
江戸と京都以外では製造が禁じられる「箔打ち禁止令」が出されたものの、加賀では藩の庇護のもと密かに金箔作りが続けられました。
藩の尽力もあり、その後の1864年には金沢城の修復や藩の御用箔に限り箔を打っても良いという許可が幕府から得られ、これをきっかけに金沢箔は大きく発展することになります。
明治維新で幕府が崩壊すると箔の統制も解除され、金沢箔の生産は質・量ともに発展。今では高品質の箔の生産地として国内において独占的な地位を占めるに至っています。
長い歴史と伝統的な技術や匠の技が光る加賀友禅と金沢箔。脈々と受け継がれてきた高い技術は、次の時代へと継承されていくべき貴重な石川県の伝統工芸でしょう。