和菓子色々な種類の八ツ橋を紹介!伝統の味から少し変わったあの味まで

色々な種類の八ツ橋を紹介!伝統の味から少し変わったあの味まで

生八ツ橋は京都を代表する和菓子の一つ。駅のお土産コーナーはもちろん物産展などで目にすることもあり、みなさん一度は口にしたことがあるのではないでしょうか。常に人気があり、京都土産としてすっかり定着しています。

八ツ橋と生八ツ橋の違い

八ツ橋と生八ツ橋の違い

「八ツ橋」と聞いて思い浮かべるのはどんな形でしょうか。人によってイメージする形は少しずつ違うかもしれません。「八ツ橋」「生八ツ橋」あるいは餡の入ったものなど、メーカーからさまざまな名前で売り出されていますが、それぞれどのような違いがあるのでしょうか。

八ツ橋

「八ツ橋」は、米粉・砂糖・ニッキ(シナモン)を混ぜて蒸し、それを薄く伸ばして焼き上げたもので、堅焼き煎餅の一種です。

八ツ橋はお煎餅としての厚みはあまりありませんが、しっかりとした堅さがあります。バリバリとした歯ごたえ、噛むほどに広がる素朴な味わいとニッキの風味が特徴です。京栄堂の角切八ツ橋のように瓦型になった食べやすい一口サイズの八ツ橋もあります。

MEMO
湾曲した長方形の八ツ橋はお琴がモチーフ

生八ツ橋

「生八ツ橋」は、八ツ橋を焼く前のいわゆる「生」の状態。やわらかくて薄い「生地」の状態のものです。つまり、餡は包まれていません。

八ツ橋という単語に対して「三角型で中に餡が包まれたもの」を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、これは正確に言うと「餡入りの生八ツ橋」になります。

お菓子としての八ツ橋

京都市南区に本店を置く株式会社美十(旧社名:「株式会社おたべ」)が、1966年に新しくお店を出すことをきっかけに、つぶあんを生八ツ橋で三角型にくるんで新しい創作菓子として売り出しました。

餡入りの生八ツ橋は「おたべ」のほかにも「夕子」「あんなま」「聖」など、各メーカーからさまざまな名前で売り出されています。

 

おすすめの生八ツ橋4選

御殿八ツ橋本舗 生八ツ橋 ニッキ

原材料に砂糖・米粉・きな粉・桂皮油を使用したニッキ味の生八ツ橋。独特の製法によって、ふんわり、もちもちとした口当たりが生まれます。何枚でも食べられそうなクセのある食感です。

井筒八ツ橋本舗 夕子

夕子という名前は、水上勉の代表作『五番町夕霧楼』の主人公である夕子にちなんで名付けられました。これはつぶあんが入っているタイプで、ニッキや抹茶のほか、焼きいも・栗・白みそといった季節限定の味もあります。

つぶあん入り生八ツ橋 おたべ

おたべには北海道十勝平野で栽培・収穫された小豆が使用されています。そして、この小豆の風味を生かすためにあっさりとした甘みに仕上げられています。つぶあん以外にも、お茶を使った玉露あんやきな粉あん・みたらしなどの味もあります。

元祖八つ橋 本家西尾八ツ橋 あんなま

「あんなま」は、「本家西尾八ツ橋」から売り出されている餡入り生八ツ橋です。本家西尾八ツ橋には300年以上の歴史があり、ここが八ツ橋発祥の店とも言われています。

「あんなま」の大きな特徴は、20種類以上という味の多さです。小分けになっているので、いろいろな味を少しずつ楽しみたいという人や、あれもこれも食べてみたいという人にもおすすめです。

ニッキ・抹茶という定番以外でも、季節ごとに季節限定の味が登場します。なかでもフルーツ系の味が豊富で、みかん・もも・いちご・夏みかん・青りんごのほか、ブルーベリー・マンゴーなど和菓子には珍しい味もあります。

梅・さくら・うぐいす・ラムネといった、いかにも季節を連想させるものや、焼きいも・栗・バナナチョコレートなどほっこりした味わいのものまであり、一つに決められず「どれにしようかな」と迷うのも一つの楽しみかもしれませんね。

さらに、バレンタイン限定ビターチョコ(ゆず・オレンジ)やクリスマス限定ビターチョコ(いちご)はパッケージもバレンタイン柄、クリスマス柄になっておりプレゼントにもピッタリです。

 

八ツ橋の歴史

八つ橋の歴史

名前の由来

八ツ橋の名前の由来には、二つの説があります。

一つ目は、多くの名作を生み出し近世筝曲の開祖とも言われた八橋検校(やつはしげんぎょう)の偉業をたたえるために、お琴の形を模して八ツ橋が作られた、という説です。

琴の名曲である「六段の調べ」という曲の作曲者である八橋検校は、1685年に70歳で亡くなった際、黒谷の金戒光明寺にある常光院(八はしでら)に葬られたのですが、墓参りに訪れる人は絶えることがありませんでした。

二つ目は、「伊勢物語」第九段「かきつばた」の舞台である「三河国八ツ橋」で川に八つの橋をかけた、という伝承を広く知ってもらうために、橋の形に似せたお煎餅を作って八ツ橋という名前をつけた、という説です。

どちらが正しいか定かではありませんが、いずれも歴史のある興味深い逸話ですね。

八ツ橋の歴史

八ツ橋は、江戸時代中期の元禄年間である1689年に聖護院の森の黒谷(金戒光明寺)参道の茶店で売られたのが始まりと言われています。聖護院の森の場所は、現在の京都大学のすぐ南にある一帯にあたります。

聖護院の森があった熊野神社の境内には、「八ツ橋発祥の地」の石標と西尾為治の像が立っています。西尾為治は、聖護院村の八ツ橋屋である西尾家(現在の本家西尾八ツ橋)の12代目でした。彼は、明治時代から昭和初期にかけて八ツ橋を世界の博覧会に出品して数多くの賞を獲得します。

  • 1889年:パリ万国博覧会・銀賞
  • 1900年:パリ万国博覧会・銀賞
  • 1902年:フランス博覧会(ハノイ)・ 金賞
  • 1905年:ポートランド大博覧会・銀賞
  • 1909年:アラスカユニコーン太平洋博覧会・グランプリ受賞
  • 1910年:日英博覧会・銀賞

八ツ橋は海を越えて評判を得るようになりました。当時、生八ツ橋や餡入りの生八ツ橋はまだ登場していなかったため、この時たくさんの賞を取って外国の人に受け入れられたのは、ニッキ味の素朴な味わいが魅力の堅焼き煎餅ということになります。八ツ橋のおいしさは万国共通と言えそうです。

大正天皇即位の祝賀行事が国内での人気の契機に

1915年に京都で大正天皇即位の祝賀行事が行われました。この時、京都駅で大勢の人が京都のお土産を買い求めたのです。その時に売れたのは八ツ橋と五色豆(ごしきまめ)でした。

以来、京都のお土産といえば八ツ橋というように全国的に有名な菓子として広く知られるようになったのです。

その後、つぶあん入り生八ツ橋「聖」が1960年、おたべが1966年に生まれます。

加えて1970年には万博が開かれ、これを機に生八ツ橋がさらに人々の間へと広まっていきます。堅焼きの八ツ橋と比べるとまだ歴史は浅いのですが、生でも日持ちがするようになったことから生八ツ橋と餡入り生八ツ橋が生産量の7割を占めるまでになりました。

京都の町を歩くと有名な観光スポットを中心に八ツ橋を売るお店が点在しています。作りたての八ツ橋の試食やカフェを併設しているお店も見られます。

今では八ツ橋・生八ツ橋・餡入り生八ツ橋を合わせると、京都を訪れる観光客の約4割がお土産として購入しているというデータもあります。

 

八ツ橋にはたくさんの専門店があり、それぞれのこだわりもあります。京都にはなかなか行けない人でも、八ツ橋を食べることで京都に思いを馳せることもできます。お馴染みの八ツ橋から、新しい変わり種の八ツ橋まで、いろいろ食べ比べてみてはいかがでしょうか。